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森博嗣「常識にとらわれない100の講義」(後)生活保護、アーリーリタイア、貧困の原因

前回の森博嗣「常識にとらわれない100の講義」の感想の続きです。



続編も出ています。

失敗して自分が死んでしまうというような事態は今のところない。そのレベルなら緊張感はある。(中略)
 だから、「失敗しても死ぬわけじゃないし」というレベルでは、緊張する方が無理というものだろう。ミスは必然的に発生する。ある意味では、しても良いミス、とかんがえることもできるだろう。
 最も大切なのは、そういったミスを見越しておくことだ。つまり、ミスしても取り返しがつかないような事態にならないように、あらかじめ手を打っておく。仕事であれば、ほとんどは「時間的余裕」によってこれが実現できるはずだ。
p.59


思い出してみると、昔はいろいろなことに切羽詰まった考え方をしていたような気がします。コレができなきゃヤバイ、アレができなきゃ人生終わりだと考え続けていたような。今になって思うと、致命的な瞬間なんてひとつもないのですが、結構追い詰められてたんでしょうね。

そういった緊張感を持って生きるのもいいのかもしれませんが、ここで書かれているように、ミスするのは当然で、ミスを想定して、それがあったとしても余裕を持って暮らせるような生き方の方が楽です。セミリタイアするにあたって、一番想定しやすいリスクは金融資産の大幅な減少ですが、そういった事態が発生しても切羽詰まらないように環境を整えるのは、心の安寧に大きく寄与します。

 だから、しなければならないと一般に考えられていることを、なにもしないでだらだらと生きていくことは可能だ。多少体裁が悪いというくらいである。そんな生き方は間違っている、などと非難することはできない。人は基本的に自由である。
 義務といえば「権利」というものを連想するだろう。よく、「権利には義務が伴う」と言う。諺だと、「働かざる者食うべからず」みたいなものもある。しかし、法律ではそんな規定はない。働かなくても、生活する権利はある。基本的な人権というのは、義務を果たさなくても侵害されない。税金を払っていなくても、労働していなくても、教育を受けていなくても、国民の権利は同じだ。人権というものは本来そういうもので、「この条件を満たしたものだけが、この権利を獲得する」というような交換ではない。
 しかし、だからといって、あまりこういった態度に出ると、社会的に認められなくなる。(中略)だから、「働かざる者、食うに困る」という状況になっている。
p.76


アーリーリタイア状態は、本来は体裁が悪いことなどまったくなく、胸を張って、むしろ自慢さえして暮らしていけるものだと思うのですが(なので、このブログで無職自慢をして溜飲を下げています)、それを公表すると実際は諸々の悪影響が容易に予見できるので、ひっそりと仕事をしている体で暮らしています。

どんな暮らしをしたとしても、基本的にはその人の自由なはずですので、とやかく言われる筋合いはないはず。「人に迷惑をかけなければ」とか条件を付けたがる人もいますが、人に迷惑をかけずに生きていける人なんてほとんどいませんし、とやかく言っている時点で私には迷惑がかかっていますので、私がかける迷惑も少しは大目に見てもらいたいというのが正直なところです(なるべくかけないようにしたいとは思っていますが)。

前にもどこかで書いたことがありますが、社会が充分に豊かであれば、働こうが働くまいがどんな人でも問題なく生きていけるような社会保障が実現できるのでしょうが、残念ながら現時点では日本はそういった状況にありません。なので、「働かざるもの、食うに困る」状況なのでしょう。近い将来にそれが実現するとも思えません(少なくとも、私が生きている間は)。

だから、生活保護が叩かれるというのは、まさに社会の貧困に原因があるのでしょう。具体的に言えば、生活保護は社会保障政策の一環であり、国家予算(あるいは地方予算)に限界があることから必然的に、他の重要政策との関係で生活保護に対する予算に制限があるのは、実際問題として避けられません。

「生きる権利は誰にでもある。だから生活保護は完全に実現されるべきである」と主張するのは正しいことだと思いますし、それが成り立つ社会というのが理想ですが、残念ながら現実はそうなっていません。将来的な見通しを言えば、今後改善されるというのも中期的には現実的ではないように思います。

このような状況で、上記のような主張を展開するのは、あまりお得ではないのではないでしょうか。義務とは関係なく権利はあるのですが、それを実現するだけの富がないのですから、折り合いを付けないと、むしろ生活保護バッシングが強まる一方になってしまうのではないかと危惧します。

 商売などでなにかが当たって一財産儲けたら、あっさりと引退してしまう、というライフスタイルがある。海外ではわりとよくこういうサクセスストーリィを聞く。二十代で成功し、そのあと仕事をせず、のんびりと暮らしている人がいる。日本では、まず滅多にお目にかかれない。日本人は、引退することが「負け」だと考えている節がある。だから、いつまでも現役に拘って、稼いだ金を次の商売につぎ込んで失敗したりする。どちらが良いという話ではない。選択は個人の自由であるし、勝ち負けもどうだって良いと思う。そういうことに拘りたくない。
p.128


二十代では間に合いませんでしたが、なんとかこういうライフスタイルを実現できました。セミリタイアブログ界隈を見ていると、最近はこういう人も増えてきているように見受けられます。あるいは、以前は私以上に社会との関わりを絶ったり、公表を全くしていなかっただけで、アーリーリタイアする人もそれなりにいたのかもしれませんが…。

「引退したら負け」と思う方は、そう思うのは結構ですが、それは自分の胸の中に抑えていただいて、「負け組」とは関わらないようにしてもらえればと存じます。頑張って人生勝ち続けてください。

 貧乏になる理由というのは、少し離れてトータルで眺めるとわかる。それは自分で考えず、自分で作らず、人に考えさせ、人に作らせていること。だから、その料金を取られているのだ。実際に目に見えるやり取りではなくて、こういった態度を取っていることで知らず知らずに損をしていくから、当人は気づいていない。
(中略)
 マスコミに踊らされてものを買ってしまったり、投資をして損をしたり、こういうのが、自分で考えず、という意味である。そんなにうまい話はない。手数料を取られるのも、人に任せているからだろう。
(中略)
「ああ、そんな面倒なこと、私には無理」という人が貧乏になるのだから、これはしかたがない。僕は貧乏が悪いなんて一言もいっていない。自分が望んでなるのだから、それはそれで自由だ。ただ、「どうしてこんなに金欠なのか」と悩まないでほしい。その答を今書いているのである。え、親切すぎる?
p.202


小屋ぐらし的な、すべてを自分で考えて自分で作ることは、この考え方にはすごくフィットしていますね。私はそこら辺は「面倒なこと」として、人に任せているので、損はしているのでしょう。

損をするのが悪いのではなくて、自分が人に任せていることでどれだけの損をしているのかを認識して、それを許容できるかどうかを自分で考えて判断するのが大切です。毎月分配型投資信託にしても、毎月分配を実現するための手数料がいくら取られているかを認識し、その手数料が許容できると判断して購入しているのであれば、文句を言う筋合いはまったくありません。

貧困に限らず、現状について、「社会が悪い」「人が悪い」と外部に原因を求めてストレス発散するのも良いですが、社会や他人を変えるよりも自分の考え方を変える方が迅速で簡単かと思います。
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コメント

コメントありがとうございます

>さいもんさん

本来、人の生き方に口を挟む方がいやらしいと思うんですけどねえ…。


>正吉さん

共感いただけて嬉しいです。
要ばバランスだと思うんですよね。

No title

ご無沙汰しておりました。
読んで、とてもスッキリしました。
> 人に迷惑をかけずに生きていける人なんてほとんどいませんし、とやかく言っている時点で私には迷惑がかかっていますので、私がかける迷惑も少しは大目に見てもらいたいというのが正直なところです
すばらしいです。本当にそう思います。
長雨後の快晴の今朝、スカッとした記事が読めて爽やかな気持ちになりました。ありがとうございます。(^^)

No title

いやあ素晴らしいです。
「働かざるもの、食うに困る」は名言です。
食うに困ってない人まで働かそうとする雰囲気があるのが問題で、極力社会との軋轢を避ける形でしかアーリーリタイアが実現できてないのが問題です。
結局なるべく目立たずひっそりと生きていくしかないんですかね。
不満を抱える人達のストレス発散の標的になるのは御免ですね。

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