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「やりがいのある仕事」という幻想(上)

人は働くために生まれてきたのではない。どちらかというと、働かない方が良い状態だ。働かないほうが楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かないほうが人間的だといえる。ただ、一点だけ、お金が稼げないという問題があるだけである。



森博嗣の本しか読んでいないような印象を受けるかもしれませんが、そんなことないです。このブログで紹介しやすい人だということです、多分。

というわけで、またまた森博嗣です。朝日新書の「「やりがいのある仕事」という幻想」。本書を通じて展開される考え方は、これまで紹介したものと変わりませんが、やはり思考に引っかかる点が多くありました。

著者は、最近ほとんど仕事をしておらず、大学は四十七歳で辞め、作家としては一日一時間だけしか仕事をしていません。ほとんど遊んでいて、毎日が楽しいと公言しています。まあ羨ましい。

仕事はしなくても良いもの、したい人はすれば良い。
したくない人も、生きていくために仕事をして金を稼ぐ必要がある。
でも、無理をして一つの職場にしがみつく必要はない。

これは本書のエッセンスではないですが、私が受けたメッセージです。あとは、新書にしてはやたら文中のカッコが多いなと。


僕などは、昔は悩む暇などなかっただけのことで、今は、悩めるだけでも豊かになった証拠では、と認識しているけれど、それを書いたら身も蓋もないか(書いたが)。(p.5)

たまに(というか頻繁に)悩んでいるふりをして結論が決まっているパターンに出会いますが(このブログもその成分高し)、選択肢がなければ悩みませんよね。選択肢が多いということが豊かだということでしょう。選択肢がなければ苦しむかもしれませんが悩みはしません。



 僕の仕事に対する第一原理というのは、これまでに幾度も書いているが、つまり、「人は働くために生きているのではない」ということだ。
 これは、僕としては当たり前のことだけど、大昔からつい最近まで、ずっとそうではなかった。(中略)数十年まえまでは、世界のどこでも(たとえ民主主義の国でも)働かない人間には、選挙権さえなかった。(中略)また、憲法には、国民の労働の義務が規定されているらしい。(中略)また、少なくとも、労働していない人でも、基本的人権は認められているはずだ(僕はそう認識している)。世の中には、「権利には義務が伴う」という言葉があるけれど、実際には、基本的な人間の権利(人権)は、なにかの義務と交換するものではない。誰にでも無条件で認められる(認めなくてはならない)権利のはずだ。(p.9)

本当に良い時代に生まれたものだと思います。昔から働かない人はたくさんいたはずですが、働かない人が市民権?を得たのはつい最近のこと。「人は働くために生きているのではない」と言われるとは、おそらくほとんどの方は賛成するのではないかと思いますが、いざ働くことに関する判断を下さなければいけないときには、忘れてしまいがちな言葉かも知れません。

私は忘れないですけどね。「私と仕事、どっちが大事なの?」と訊かれたときには迷わず「おまえだよ」と言える自信があります。そんなこと訊いてくれる相手がいないだけです。

そう訊かれたときに悩む人は、「人は働くために生きている」と考えているか、「おまえより仕事の方が大事だけどそんなこと言ったら面倒なことになる」と考えたかのどちらかです。

勤労の義務の考え方についてネットで軽く見てみましたが、義務というよりもそうあるべきだという精神的規程だという見方をする方が多いようですね。幸福追求権との兼ね合いはどうなってるのかな。あまり生半可な知識で語る話ではなさそうなので、ここらへんで閉じておきます。



仕事というのは、今どんな服を着ているのか、というのと同じくらい、人間の本質ではない。(p.16)

フルタイムの仕事に就くまでは、仕事のことがよく解っておらず、「人生のかなりの部分(具体的には、40年ほど)を費やすものなんだから大切なものなんだろう」ぐらいにぼんやり思っていたような気がします。

就職して、主観として充実した仕事をしていた時期は、仕事が私の人間としての重要な構成要素だと思ってたんじゃないかな、今は思い出せませんが。これだけ仕事をして、これだけ成果を挙げてる俺の価値がどんどん高まってるぜぇー、的な。

それがここ数年は、大した仕事もしてない、こんなことで俺の価値が測られたらやばいと気づいて、仕事なんて人生のスパイス、お金を稼ぐためにやっているものだ、という転換をしたのかも。自分のエゴを守るために。

結局行き着く先は、「仕事は人間の本質ではない」で同じなんですけどね。



つまり、仕事というのは、抽象的に表現すると、「したいという気持ちはそれほどないけれど、それをしないと困ったことになるからするもの」ということになる。「金を儲ける」というのも、金がないと生活に困るからである。したがって、この定義でカバーできるだろう。(p.30)

mushoku2006さんの投機は、この定義では仕事になりませんね。
趣味はこの反対で、「したいという気持ちがあり、それをしなくても困ったことにならないもの」でしょうか。「したいという気持ちがありつつも、それをしないと困ったことになるからするもの」は、仕事であり趣味である、ということか。仕事好きな人はこのパターン。ちょっと下世話な例をすぐに思いついたけど下品なので自粛。



将来の夢という言葉と裏腹に、何故かほとんど例外なく「どんな職業に就きたいか」ということを子供たちは答えてしまう。おかしな話だと思う。子供だったら、もっと「一日中遊んでいたい」とか、「宇宙を冒険したい」とか、あるいは、「大金持ちになって、自分の庭に遊園地を作りたい」というくらい書いてもよさそうなものだが、せいぜい、スポーツ選手になりたいとか、ダンスの先生になりたいとか、どうも仕事の種別に子どもたちは拘っているようだ。(p.38)

フィンランドの子供のなりたい職業ランキング第3位は「働きたくない」というのを思い出しました。
脱社畜ブログ(dennou_kurageさん)で紹介されていましたが、当該エントリと内容がだいぶ被ってしまった…ご参考まで→
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/05/10/203452



人は働くために生まれてきたのではない。どちらかというと、働かない方が良い状態だ。働かないほうが楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かないほうが人間的だといえる。ただ、一点だけ、お金が稼げないという問題があるだけである。
 したがって、もし一生食うに困らない金がすでにあるならば、働く必要などない。もちろん、働いても良い。それは趣味と同じだ。働くことが楽しいと思う人は働けば良い。(p.51)

帯にも引用されている、この本の真骨頂。そして、このブログの座右の銘ともなるべき名言です。プロフィールの座右の銘に書いておきたいと思います。今までの座右の銘は「特にありません」でしたが。面接でも訊かれなかったし。あ、「一日不作、一日不食」を忘れてたw

この言葉には100%同意せざるを得ません。働く必要のない状態となりたいです。趣味で少し働くくらいで十分です、というといろんな方からお叱りを受けそうですが、本心なので。

この考え方は、おそらくリタイア情報を探してこのブログにいらっしゃる方はすっと納得できると思うのですが、リアルだと「そりゃそうかもしれないけどさ」とか、「あり得ない」とかいう反応が大半でしょう。そんなに突拍子もない考え方ではないはずなのですが…。

人は働くために生まれてきたのではない。生まれてきてしまったからには、生きているから生きているだけ。死ぬまでの時間を自分が生きたいと思うように生きれば良いだけ。将来の楽しみの方が大きく見えるから、今は働いてお金を貯めていますが、働くことが目的なのではなくて将来、より多くの自由な時間の獲得のために働いています。

と、胸を張ってみんなに言える日はくるんでしょうかね。
友人には言えるけど田舎の親戚には言えんだろうな…。



また、「そんなことで日本はどうなる?」なんて、大局を見ているような振りをすることもあるけれど、そもそも日本はどうなるのか誰にもわからない。このごろは、どんどん抜かれてじり貧になっている。でも、今の若者の責任ではない。どちらかというと、「やりがいを持て」「仕事にかけろ」と言ってきた年寄りたちの読みが甘くて、今の日本の不況、そして企業の低迷があるのではないか。つまり、やりがいとか、気持ちとか、そんな精神論で仕事を引っ張ろうとしたツケが、今まさに来ているとも言える。(p.54)

「最近の若者は~」という言葉だけは吐きたくないと思っています。時に思うときはあるんですけど、一般化しちゃいけないと肝に命じて、吐かない。「ゆとりは~」とは言ったことがないです。

不況については、政府のことがよく叩かれていますが、今どき政府の役割ってそんなに影響力は大きいんでしょうか?ボロクソに叩いているわりにものすごく頼りにしている論説が多くて首を傾げることが多いです。頼りにしたいのに頼りにならないから叩いているのかもしれませんが、なんで数十年頼りにならないモノを頼ろうとするのでしょうか。これも、バブルまでの日本経済を引っ張ってきた護送船団方式への回帰を夢見ているからでしょうか。読みが甘いどころの話じゃない。それとも、単にゴネ得を狙っているだけなんでしょうか。

若年層に対する見方も同じ。頼りにしたいけど頼りにならないから悪口を言う構図。お前が若い頃はそんなに頼りになったのか?と省みたらそんなに文句も言えないはずなんですけどね。


長くなったので続きます


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コメント

Re: タイトルなし

>セカンドライフさん

仕事も一旦辞めてしまうと、うまくいかないからといって元のような状態には戻りづらいですからね。死ぬことに比べれば可逆性がありますが。

余裕が有るのなら一旦辞めて様子をみてからまた考えれば良いんですけどねえ。

仕事を辞めた時、毎日に失望するのだろうか?
仕事が無くなった時、自分に絶望するのだろうか?
毎日が日曜日となった気に、日曜日が苦痛となるのだろうか?
金を稼げなくなった時、生きる意味を感じなくなるのだろうか?

今でも、リタイヤ後に上記のような迷いが絶対生じないとは言えません。

それでも、稼がなくて済むなら、仕事はしたくないのです。
甘過ぎるのでしょう。

私は、まだまだ悩むでしょう。

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